なにをかこうかしらん

脚色はしてしまうけども、嘘では ない。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

赤いケースに入っています

ついに月曜から金曜まで学校に泊まってしまった。

そして今日帰ろうとしたら定期券を失くしていた。しかも腹立たしいことに再発行不可。3万、どうしよう


学校の課題で提出すべき作品を期限内に提出出来なかった。
変なところでこだわって、結局終わらせられず。何やっているんだ。

結果がすべてではないけれど、「評価」においては出てきたものが全てであろう。
これはまずい。
留年もだけど、くせになりそうで怖い。

二度とこんなことをしないと、決意すべき。

「決意すべき」ってことは出来ていないのだけれど、自信がない、というか喪失したからで。



不器用で鈍臭くて要領の悪い自分が見えて、うんざりする日々を送っている。

スポンサーサイト

PageTop

さあて、怒涛の一週間が始まったーーー

展覧会の概要を執筆している。

全然うまくいかない。何がうまいのか分からないが、これはうまくない。
ぶつぶつと文章が切れている。

昔々、読書感想文や国語の宿題は得意であった。
全くもって苦ではなく、書き始めたらスラララと続き、いつの間にやら書き終わっていた。

手紙も好きだし日記も好きだ。自分は文章が書けると思っていた。

が、しかし、レポートやこのような説明文となると、何の訓練もしておらず、書き方が分からない。
書き方ってのはきっとあるのだろう。その上で自由な表現ができるのだろう。

書けば書くほど分からない。


この度自らこの仕事を引き受けた。自分にはその能力が足りないと思ったからだが、予想通りだいぶ苦しい。
そしてこればかり考えて他の作業に手が回らなくなる。昔から、ひとつのことに集中すると周りのことはどうでもよくなる子であった。


「自分をそうだと決め付けないほうがいい」

と、ある人に言われた。20歳そこそこで(もうすぐ22だが、)自分のことを決め付けない方がいい。まだ変われるし、本当はそうではないかもしれない。

「いろんなことしたい、経験積みたいなら、あれもこれも、同時進行でやって欲しい」

って、自分にできるだろうか。もう不安でいっぱいいっぱい、愚痴を吐かねばつぶれそうだ。いや吐いたらつぶれるのか?。


でもまあ死にはしないから、やるだけやるかーっ

それでは皆さんお元気で。

PageTop

コンセプチュアルアート、いや

PageTop

Depo(倉庫)+Art=DepART!(デパート)

gomu1_convert_20120501235824.jpg

DepART!.jpg


事後報告でどうしようもないが、展覧会しました。

1枚目が私の作品「ゴムの木」。
2枚目が会場となった倉庫の外観。

展覧会名は「DepART!」
専攻の学部生・院生で行ったのだが、大変楽しかった。


今回の展覧会、「自己満足」というキーワードが浮上した。
展覧会ってことは、「みせる」「みる(みせられる)」の関係にある。
そのなかで、自己表現と伝えたいことがどこにあるのか。「100人中2人や3人しか認めてくれなくてもよい。」というのと「誰もわかってもらえなくてもよい。」というのとでは全く、違う。

どこから自己満足ではなくなるのか、まだ明確に理解できていない。

先輩の作家さんの言葉を思いだした。(一度ここで書いたことがあるかもしれない)


「誰に評価されたいかってのは、考えるよね」


以前聞いた時は「勝負する相手を具体的にもつってことか」と思ったが、今はちょっと違う。その考え自体に関心する。この人は自己満足の作家ではない。制作は趣味ではない。


かといって今回の作品、これ何?意味は?コンセプトは?って聞かれると、即答できず、毎回違う回答をする。
自己満足でつくったのか?そうなのか?
私はこいつがとても面白い、美しいと思うのだが、他の人は全く思わなかったら、結果自己満足を超えないのか?

と、作りながらも迷い迷い、


それでも作りきれた。
結局、何人かに「面白いね」と言ってもらった。そこでおわったらおわりなんだけど、ほっとしたのです。



次につなげたい。展覧会の運営力もばんばん身につけたい。能力が欲しい。いいもの作りたい。かっこよくなりたい。ぶちかっこよくなりたい。いつも元気でありたい。


またひとつひとつ済ませていこう。

PageTop

エステティック(仏)

今日から新学期、学部3年となりました。

で、授業開始。美学をとりました。


おもしろい。

一回目だからザッと概要みたいなのだったけれど、良かった。「美しい」って状況で変わる。
例えば今桜を見るのと、「余命4ヶ月」と告げられて見るのとでは、「美しい」という思い方は違う。

当たり前ね。うん、想像できる。でもこんなにも特殊な状況でなくとも今この感じ、昨日とそんなに変わってない、変哲もないいつもの私。でもこれは何かによってすぐさま変わりうる、ゆらゆらふわふわしているのだ。映画や本や誰かの一言、ツイッターなんていう記号でさえも私を揺さ振るのだ。

今の状況だから感じる「美しい」。


それは絶対ではない。


って、美って定義できないものよってそりゃそうだろってことを改めて教室で大の大人が語っていて、何だか安心したのです。

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。