なにをかこうかしらん

脚色はしてしまうけども、嘘では ない。

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あ ちゃんと履き替えてましたから。

学校に泊まることはよくあることだが、四泊もしてしまった。


テーマは自由。展覧会の形で発表せよ。という課題が出た。展覧会とは学校内(工房)で行い、学科問わず誰でも来場できる。

私はデザイン学科現代表現領域に属するのだが、同学年(2年生)の同領域は他に2人。つまり3人のグループ展。


今まではただ講評が行われていたが、今回は展覧会。フライヤー(ポスター)、会場設営、マップなどなど全て3人でこなさなければならない。加えて課題は「自由」(自由というテーマではなく自由設定)。一体どこから手をつけたらよいのか。



一ヶ月ちょっとの課題でしたが、まあ泣いた泣いた。今日の講評でも泣いた泣いた。私はドラマや本で泣くことはないのだが、自分のこととなるとすぐ泣ける。(当たり前か?)よく大泣くので泣くことが恥ずかしいとか(鼻水は別として)思わない。歳を重ねるごとに泣かなく(泣けなく)なるように思う中で、情けない、悔しい、悲しい、もどかしい…何かしら溢れ出して涙できるのは嬉しいことでもある。



まあいいや。




「みんなに失礼だ」

今日の講評で言われたこと。作品に対する自信がなく、ネガティブなプレゼンをしてしまった。

「作品に対して失礼だ」


折角つくったものに対して設置の仕方、ライトの当て方…「みせ方」はこれでいいのか?自分の作品に対する責任。ちゃんと面倒をみてやらないと。「見栄え」といえばそれだけのことだけれど、だけではない。同じ作品でも環境によって受け取り方は全然違う。先輩の言葉ですが、「絵画にしても壁に掛けているのと、立てかけているのとでは全然違う。」立てかけてあったらその隙間を覗いてみるだろう。平面作品ではなく立体作品なのかもしれない。今までも「みせ方は大事」と聞いてきましたが、初めてその重大さにドカンとやられました。展覧会の形でやって得られたことだと思う。



また今日までもやもやしていたことへの1つの答えが得られた。
それはコンセプトがなくとも作ればよいということ。「何故これをつくったのか?」がなくとも面白いものは、面白い。コンセプトを聞かされても面白くないものは面白くない。もちろん見た目が面白い上にコンセプトを知ってより面白いってものは素晴らしい。しかし「何だか分かんないけど面白いもの」、さらにそれが多くの人に共通の面白さであること。これは、すごい。どうやらそういう作家は大勢いるようで、その存在を知れたのは良かった。コンセプチュアルアートばかり追っていては苦しいだけであったかもしれない。



デザインだけではなく、油絵、彫刻科等のある学校であったこと、所属している領域が「面白いものみたいニーズ」の強い場であること、自分よりも知識経験の深い先輩がいる領域であること、話をする・聞くことが活発な場であること。知ってたけど改めて自分の居る場の良いところが分かって良かった。クソほど悩んで辞めようかと泣いたが、まだ続けようと思えて良かった。



久しぶりの家。休みます、お休みなさい。

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嗚呼あーと

おはようございます。

長きに渡る戦いを終えました。最後の最後まで人に助けられた・・。いやまあただ課題制作の話ですが、。


作品にするって難しい。何でもそうだと言えば作品に成り得るのでしょうが、だからこそ作品って何?

どうやったら作品になるのか、悩みに悩んだ一ヶ月でした。

色々あったけど本当に他人のお陰様。一歩踏み出して話し掛けることで見えてくるかもしれないもの。何に悩んでいるのか、自分へのアプローチ。まあどうにかするのは結局自分自身ですが。



とにかくわしはもっと知るべきである。今情報なんてすぐ得られるものだけど、知るってのはそんなに簡単なもんじゃないんだろうな。もっと深みにはまって、ただ辿るんじゃなくってもぎ取るというか貪るというか、さらさらではなくどろどろぎらぎら粘っこい、そんで作品として嘔吐して。


簡単じゃないなあ。どうしよう



どうやって生きていこう。

考えるって苦しいけど止めるわけにはいかないし、やれやれ。まあ周りもようけ考えちょるけえ何とかやってくかー。

行ってきます。

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せとげいのおはなし②

犬島2


手記なんかを見ながら思いだそ。


1日目、犬島。
精錬所という遺構に柳らがartをぶち込んでいた。かつて銅の精錬所だったそれは結構そのまま残しているらしい。周りに植わっている松なんか「植えたんですか」「いいえ自然と生えていたものです」って。へえ。

観光地に鑑賞値を与えていた。


遺構やら遺跡やら、それだけで訪れたものに当時を彷彿・想像させる。そこにartを付加してさらに作家の思惑なんかを感じ取らせる。遺跡探索との違いね。思考操作されるし独り歩きしだすし。


精錬所の他に、"家プロジェクト"ってのがある。F邸だったか、《山の神と電飾ヒノマルと両翼の翼の鏡の坪庭》。ああいう電飾を見ると80年代60年代・・・と、知りもしない過去の日本に連れて行かれるのは何故だろう。(大竹伸朗のなんかもそうされるいや彼のはちょっと違うけど。)
この小島に確実に存在した過去のニッポン。
アッパレニッポンニッポンバンザイ


今は取り残された印象を与える犬島。残ってしまった精錬所・銅の採掘跡。残すことで島は何を唄っているのだろ。



とか何とか勝手に考えた。こんなこと無理に考えながら歩くのは楽しくないかもしれない興ざめなのかもしれない。でもただ感じるままになんて高度なことできんし結局脳は動く。

まあ一人旅なんで自己処理せんとどうしようもなかったのです。



【メモ】
犬島ジンジャー美味し。のどが焼けるようだ。

犬島 ジンジャー

¥500

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穴があったら飛び越えたい


artってなんなんだ

今更だけどいつまでも付きまとうであろう議題が湧き上がった。誰もが思うのだろうからその中の一人になるわけだから、「ああまた若造が一人悩みだしたか」程度であろうが、しょうがない私には若さしかないのだから。

「artは分かる人にだけ分かればいい。ついてこれない奴はほっとけ。大衆化した作品なんて大した事無いものばかりだ。」

そんな!!

「全員の要求を満たすものなんて出来ないよ。5人乗りでスピードも出せてかっこいいスポーツカーで...なんて要求に全部答えてたらどうなる?」

...そうだけども。

「結婚してマイホーム建てて子供生んで、っていうのが幸せっていう人もいるさ。それはそれで認めるよ。でも僕らの世界はそうじゃない。君は表現者だろ?それだけじゃ幸せになれないんだよ。足りないんだよ。」


..............。


もちろんこれはある人の考えであって受け入れる必要はないのだが、ピッタリとあてはまってしまい何も言い返すことができず体内に滞る悔しさと怒り。未熟すぎて恥ずかしい。自分の考えなどグニャグニャである。経験値の差。くそうっ



分かる人にわかればいい。じゃあ誰に向けて発信するんだ。何のために作るんだ。自己表現?空虚な空に向かって叫ぶの?そんで草むらからでてきたおっさんに「君いい声してるね」とか評価されるの?誰がおっさんなの?


デザイン商品の世界も当てはまるのかもと思えてきた。あの黄色いTシャツを買ったってことは緑のポロシャツを買わなかったってことで、それはつまり黄色いほうを良しとし、緑のほうを認めなかったってことだ。でしょ?あの作品は好きだがこっちのは何がなんだかわかんねぇってことと似ておる。あの人と友達になりたいけどあっちの人とは話したくない。あのトマトよりこのトマト。

何だよ、当たり前のことだったのかよ!!!ただartが顕著なだけか?


それで私は何をどうしたいのだよ。今すぐ分かるわけないけども今すぐ知りたい、いつまでも知りたくない。矛盾!
体が引き裂かれるぜ!!


何かじろじろ見られたなと思いきや、ボタンひとつ掛け間違えてた...!さらにむしゃくしゃしゃ。


読んだ本
  「ISSEY MIYAKE East Meets West 三宅一生の発想と展開」

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